大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和36年(ネ)898号 判決

判  決

東京都練馬区中村北一丁目四番地

控訴人

鈴木忍

右訴訟代理人弁護士

児島平

菅谷幸男

三宅辰雄

東京都練馬区中村北一丁目四番地

亡被訴人岸常吉訴訟承継人

被控訴人

岸トシ

(ほか三名)

右被控訴人四名訴訟代理人弁護士

吉永多賀誠

右当事者間の昭和三十六年(ネ)第八九八号不動産仮処分異議控訴事件につき当裁判所は次のとおり判決をする。

主文

原判決を次のとおり変更する。

債権者岸常吉(承継人被控訴人ら)、債務者控訴人間の東京地方裁判所昭和三五年(ヨ)第四三二一号仮処分申請事件につき同裁判所が昭和三十五年七月十五日にした仮処分決定を左のとおり変更する。

一、債務者の別紙物件目録一、二記載の建物に対する占有を解いて、債権者の委任した東京地方裁判所執行吏に、その保管を命ずる。執行吏は、その現状を変更しないことを条件として、債務者に使用を許さなければならない。但し、この場合においては、執行吏は、その保管に係ることを公示するため、適当な方法をとるべく、債務者は、この占有を他人に移転し、または、占有名義を変更してはならない。

二、債務者は別紙目録(二)の建物に限り、執行吏に申出てその許可を得て「もし債権者が本案許訟の判決に基いて債務者に対し、右建物収去、土地明渡の強制執行をなし得るにいたつたときは直ちに退去すること」を条件として、この条件を承諾する第三者に(二)の建物の全部又は一部を使用させることができる。この場合において執行吏は、使用許可の都度、右の条件を承諾する旨の第三者の承諾書を徴すると共に、使用を許す第三者の氏名と使用範囲を明らかにした許可書を債務者に交付しなければならない。なお執行吏は前記条件が成就したときは、使用を許された第三者を右建物から退去させることができる。

三、債務者は、その所有名義の別紙物件目録二記載の建物について、譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分をしてはならない。ただし、債務者が前項により執行吏の許可を得て第三者に使用させることはこの限りでない。

訴訟費用は第一、二審を通じ之を三分しその一を債権者(承継人被控訴人等)の爾余を債務者(控訴人)の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。亡被控訴人岸常吉(債権者)控訴人(債務者)間の東京地方裁判所昭和三十五年(ヨ)第四三二一号不動産仮処分事件につき、同裁判所が昭和三十五年七月十五日にした仮処分決定を取消す。本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は第一、二審共被訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、疏明方法の提出、採用、認否は控訴代理人於て、

一、被控訴人(債権者)岸常吉は本件控訴により本訴が第二審に係属するに至つた昭和三十六年六月一日死亡し、被控訴人岸トシは同人の配偶者として、被控訴人岸貫は同人の長男として、被控訴人小川美代子は同人の長女として被控訴人吉沢照子は同人の二女として先代岸常吉の遺産を相続し、本件仮処分債権者の地位を承継した。

二、  (一)の建物は元控訴人先代鈴木太三郎の所有であつたが同人の死亡により、他の相続人が相続を放棄し、控訴人が単独相続によりこれが所有権を取得したものである。

三、本件(一)の建物が控訴人の所有であることは次の事実からもこれを裏付けされる。即ち控訴人は、

(1)  昭和二十五年三月新潟県岩船町から本件(一)の建物に移住するに当つて、畳二十六枚(二万六千五百円)、板戸四枚(三千二百円)、障子戸十一枚(八千八百円)を岩船から持参し、フスマの修理、壁の張替え等をなし、又この家は診療所風の建物のため、庇がなく大雨に吹き込まれるので幅四尺長さ十五間の庇を家の前側と横側に取付け、押入れを一間造り、以上の工事費用に約四万五千円を要した。

(2)  その後も、昭和三十一年に台風呂場玄関を改造修理し(その費用約五万円)、昭和三十二年に屋根瓦の修理(その費用約四千円)をし、昭和三十五年には雨樋、台所、風呂場の修理(その費用約一万二千円)をし、垣根ブロツク塀に改造し、ブロツク塀約二十間と門戸をこしらえた(その費用八万五千円)。以上の改修、補強工事をしている。

そしてこれらの工事をするについて何ら被控訴人の承認を受けたことはなく、控訴人は自己の持家を修理するという当然のこととしてこれを為してきたのである。勿論被控訴人から何らの異議はなかつた。控訴人の昭和二十五年から今日迄の間に為したこれらの行為から見ても、本件(一)の建物は控訴人の所見であることが明らかである。借家人は他人の建物に対しこれ程の設備並に改造修理はしないものである。と述べ被控訴代理人において、

一、控訴人の主張の被控訴人等先代常吉の死亡、被控訴人等相続の事実はこれを認める。なお原判決二枚目表四行中「昭和三十五年頃から」とあるのは「昭和二十五年頃から」の、同六行中「同年三月頃から」とあるのは「昭和三十五年三月頃」のいずれも誤りである。

二、本件(一)の建物は、被控訴人らの先代岸常吉が控訴人の祖父鈴木太郎左衛門から古材をもらい受けてこれを建築したものであつて、建築当初から常吉の有所に属したものである。

三、被控訴人は本件処分の被保全権利として、本件土地につき従来地主の訴外榎本峰松との間の賃借権を主張してきたが更に右訴外者に対する土地賃借権に基く債権者代位権を附加する。依つて第一建物に関する明渡請求の基礎は建物所有権第二建物に関する請求及び第一建物に対する予備的請求の基礎は、土地賃借権及びその権利に基く債権者代位権の二つとなる。と述べ、

(疏明省略)

た外、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

一、次の事実は当事者間に争がない。

(1)  被控訴人らの先代岸常吉は大正十二年頃、東京都練馬区中村北一丁目四番番の宅地三百十三坪(以下本件宅地という)を地主の榎本峰松から賃借し、その地上(北側)に、

家屋番号同丁十二番の一、

一、木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅一棟

建坪十九坪七合五勺

附属

一、木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建

客間一棟

建坪五坪

を建築所有していた。

(2)  その後本件宅地の一部(南側)に、別紙目録記載(一)の建物(以下(一)の建物という)及びこれに附属する物置の一棟(成立に争ない甲第二号証による木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建物置一棟建坪四坪であつたことが認められる)が建築せられた。

(3)  控訴人は昭和二十五年頃から右(一)の建物に居住し、岸常吉に対して毎月一定額の金員(昭和三十五年頃は一ケ月金九百九百九十四円―それが(一)の建物の賃料か建物敷地の地代であるかは別として)を支払つてきたが、右建物の所有権の所在を廻つて岸常吉と控訴人との間に紛議が生じ、控訴人は昭和三十五年三月頃から毎月の支払金を右建物敷地の地代として弁済のため供託すると共に右建物が控訴人の所有に属するものと主張し、常告を被告として東京地方裁判所に建物所有権確認の訴を提起した(同庁昭和三五年(ワ)第二八三八号)。

(4)  その頃控訴人は(一)の建物の附属物置を取りこわしてその跡に別紙目録(二)の建物(以下(二)の建物という)を建築しようとしたため、常吉から警告を受けたが、これを無視して(二)の建物を建築した。

(5)  そこで常吉は右のような状況の下においては控訴人との間の(一)の建物の賃借関係(常吉は(一)の建物が同人の所有であつて、これを控訴人に賃貸していたものと主張するのである)を継続することができないものとし、昭和三十五年七月十四日控訴人に対して(一)の建物の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、次いで控訴人の提起した前記訴の反訴として、控訴人に対し(一)の建物の明渡、(二)の建物の収去、敷地明渡(予健的に、もし(一)の建物が控訴人の所有であるとすれば、(一)の建物の収去、敷地明渡)の訴を提起した(東京地方裁判所昭和三五年(ワ)第五七〇六号)。

(6)  岸常吉は昭和三十六年六月一日死亡し、同人の妻である被控訴人トシ及び子であるその余の被控訴人らが相続により常吉の遺産を承継した。

(7)  控訴人の父鈴木太三郎は昭和二十三年十二月十三日(原判決事摘示に十月十三日とあるのは誤記と認める)死亡し、他の相続人らが相続を放棄したので控訴人単独で太三郎の遺産を相続した。なお鈴木太三郎はその先代鈴木太郎左衛門の長男で被控訴人トシ(常吉の妻)は太三郎の実妹であつて、控訴人の叔母、その余の被控訴人らは控訴人と従兄弟の間柄である。

以上の各事実は当事者間に争のないところである。

二、本件における主たる争点は、

(1)  本件(一)の建物は、被控訴人らの先代岸常吉の所有であつたか、それとも控訴人の先代鈴木太三郎の所有に属したか。

(2)  もし後者の所有であつたとすれば、太三郎において本件宅地の一部を借地人である岸常吉から転借していたものかどうか。

という点である。

ところで、(疏明)を綜合すると、次の事実を一応認めることができる。

本件(一)の建物は、控訴人の父鈴木太三郎がその長女ノブ(医師)の診療所にあてるため新潟県岩船郡岩船町(現在の村上市)の同人居宅近くに建築したのを、ノブの婚嫁により不用となつたので昭和十五年八、九月頃解体してその資材を鉄道便で運搬し本件宅地上に移築したものである。その主たる目的は東京に遊学する自己の子弟の住居にあてようというのであつて、移築については、同人の妹の被控訴人岸トシ夫妻にも相談の上その承認を得たものであり、かつ移築に際しては郷里から大工その他の職人を東京に派遺し、移築に要した一切の費用は太三郎において支弁した。ただし(一)の建物の建築申請は地主に対する手前を考慮し岸常吉の名儀でなされた。そして同年十月頃(一)の建物が完成してからは、当時東京に遊学中であつた太三郎の二男和夫を二女森田チエ夫婦と共に居住させ、和夫が学業を卒えて帰省後は森田チエ夫婦が引続いて住んでいたが、昭和二十五年三月頃、控訴人はその郷里岩船の居宅を売払い、家族と共に上京し本件(一)の建物に居住するに至つたので、森田チエ夫婦は間もなく他へ転居した。(一)の建物に附属した前掲物置はその頃控訴人が上京の直前森田夫婦に頼み、控訴人の費用で建てられたものである。そして(一)の建物が建築された以後は、常吉が地主に支払うべき本件宅地三百十三坪の賃料の三分の一に当る金額を森田夫婦が太三郎に代つて常吉に支払つてきたほか(一)の建物に対する税金も常吉を介して納入し、控訴人が居住してからは控訴人が右の各支払を続けてきた。かくて(一)の建物建築後約二十年に亘つて格別の紛議もなく経過したのであるが、控訴人が昭和三十五年になつてから家計の補いのため間貸しをする目的で別紙目録(二)の建物を建築することになつてから、常吉と控訴人との間に(一)の建物の所有権ないし建物敷地の占有権原をめぐつて紛争が起るに至つた。

以上の事実が一応認められる。

被控訴人らは、(一)の建物は常吉がその妻トシの父鈴木太郎左衛門から岩船町にあつた前記診療所用建物の取毀し材料を貰い受け常吉において建築したものであると主張するけれども、前段の一応認定を動かすに足る疏明はない。もつとも(疏明)によると、本件(一)の建物及びその附属物置については、昭和二十七年十月二十四日、常吉の所有名義で所有権保存登記がなされ、更に同日、控訴人のため同日の売買予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記がなされていることが認められるが、これを(他の疏明)と対照して考えると、右の当時控訴人は(一)の建物が常吉の名義で建築許可を得て建設されたものであるため同人によつて処分されるおそれのあることを心配し、た訴人名義で所有権保存登記をすることを望んだが、常吉の方としては右建物が同人の借地内に建築されたものであり、且妻トシの実家の方に不必要となつたときはこれを貰い受けることを期待していたような事情もあつて、控訴人は名義に所有権保存登記をすることを肯せず、なお当時常吉で病気中でもあつたので、控訴人はとりあえず常吉の名義で保存登記の手続をすると共に同人の処分を防止する意味で前記仮登記の手続をとつたものであることが窺はれる。

三、以上のような事実関係からみると本件(一)の建物は控訴人の父太三郎の所有であつたもので、同人はその敷地として常吉の賃借している本件宅地のうち約七十余坪の部分を転借しないたものであるという控訴人の主張もあながち首肯し得ないことではないとも考えられなくはない。

しかしながら(一)の建物の所有権の帰属、その敷地の使用関係等本件の主たる争点についての終局的判断は、本案訴訟にをまつべきであつて、本件仮処分手続では、本案訴訟の基礎たる被控訴人らの本件宅地についての賃借権が一応肯定される以上、そして仮処分を必要とする被控訴人らの主張の事情も本件弁論の全趣旨からみて一応肯認し得る以上、本件仮処分申請は相当額の保証を立てさせこれを許容するを相当とする。ただし、上掲諸般の事情からみて原審の仮処分決定の内容は主文のとおり変更するを適当と認めるので本件控訴は一部理由あるに帰する。

よつて訴訟費用につき民事訴訟法第八判条、第九二条に則り主文のとおり判決する。

東京高等裁田所第四民事部

裁判長判事 谷本仙一郎

判事 浜 田 潔 夫

判事 堀 田 繁 勝

目録(省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例